家紋と阿倉の苗字由来について
「家紋帳」に無い家紋、有りそうで無い「阿倉」苗字
「阿倉」姓は非常に珍しいです。「小倉」さん、「佐倉」さんは聞くことは多いですが「阿倉」は聞いたことが無い。認印は別注です。 また、家紋は「家紋帳」にも掲載が無いようです。そのため、家紋を入れる「紋付」や「漆器」なども総て別注でした。
創業者「阿倉彌五郎」が平成7年に死去して葬儀を執り行いましたが、姫路から「本家」の方がお越しになり、その際に「阿倉」と「家紋」の話をされました。 阿倉彌五郎は姫路出身で、名前が示す通り「五男坊」で大正時代に京都に来て修行の末、阿倉染工場を創業しました。「侍の倅」を公言していましたが、「本家」は姫路ですが付合いはなく真偽を知る機会・興味はありませんでした(確かに、戸籍謄本から阿倉彌五郎の父は江戸時代の人でした)。二代目 阿倉啓次郎は本家を知っていたようで葬儀に来て頂けたようです。その際に聞いた話は、「阿倉」は「黒田」姓を名乗っていたそうですが姫路城の殿様から「阿倉」姓と「家紋」を賜り改姓したとのことでした。また、全国に阿倉姓は「二族」存在するとのことでしたが、当方の一族とは関連は無いと伺っています。
二代目阿倉啓次郎が令和3年に死去し、遺品整理で姫路市の方(阿倉姓ではありません)と年賀状交換をしていたことをが判明し、死去通知を送らせて頂きました。頂いた返信には阿倉姓と家紋について、上記と同じ内容が記されていました。その方は当時78歳で、当人も「母から聞いた話です」と追記されていました。
このような経緯もあるためか、創業者 阿倉彌五郎は自尊心が高かったようで、仕事で使うオートバイや自動車に「家紋」を入れて使用していました。 写真は昭和35年頃のものですが、道路は未舗装の地道で、従業員が押すオートバイに入れられた「家紋」が確認できます。
その「伝統」を引継いでホームページや名刺にも「家紋」を使うようにしています。